籐九郎おすすめの演目
2006年2月 「靭猿」(うつぼざる)
 「猿に始まり狐に終わる」 狂言師としての人生の第一歩となる演目です。
 和泉流の慣わしとして、家に生まれた子どもは、だいたい3歳から4歳にかけてこの「靭猿」の小猿の役で初舞台を踏みます。
そのための稽古が始まるのは、おおよそ1歳半。
足袋をはいて正座をし、扇を前に師匠にご挨拶をする…。
まだ言葉も満足に話せないうちから、日々のお稽古は始まっていきます。
そして2歳を過ぎた頃から、小猿のお稽古に入るのです。
 太郎冠者を連れて狩りに出かけた大名が、通りかかった猿曳きの曳く小猿に目を留め、自分の靭に小猿の皮をかけたいと、猿曳きに小猿を差し出すように命じます。
小猿を差し出さねば、猿曳きともに成敗すると言われ、泣く泣く小猿を差し出そうとする猿曳きですが振り下ろされた鞭を、芸の稽古と思い無心に芸を披露する小猿の姿を見て、猿曳きは「この上は自分もともに殺してくれ」と泣き崩れます。
これに大名も心を打たれ、命を助けてやります。
最後はお礼にと、猿曳きの謡に合わせ小猿がめでたく舞い納め、終幕となります。
 人間と猿とではありますが、情の通い合いは心の奥にずしんと響きます。
子どもの無心さが、小猿の無心さと重なり、見るものの心を打つのです。
 セリフは「キャアキャアキャア」だけですが、狂言にしては長時間45分の演目ででんぐり返しやノミ取り、腕をかいたりお尻をかいたり、猿の所作をしながら最後は猿唄にあわせての舞まで、大人に混じっての舞台は大役であるといってよいでしょう。
 何より、2人の狂言師が同日に初舞台を踏むことはかつて例のないことでいのちの巡り合わせの不思議を感じます。
 また先代宗家が存命であれば、親子3代の狂言をご覧いただける機会でもありましたが残念ながらかないません。
しかし、先代宗家もきっと厳しく暖かく、初舞台を楽しみにしていることと思います。
 是非、2人の第一歩をその目でご覧下さい!
2006年1月 「奈須與市語」(なすのよいちのかたり)
 和泉流現行曲254曲には含まれないにもかかわらず語りの大曲・プロへの登竜門として重きを置かれている一曲です。
 平家物語の「扇の的」として知られる、屋島の戦いでの一幕。
奈須の與市が、海上の扇を見事に射落とすこの物語は平家物語を知らない人でも、どこかで聞いたことがあるのではないでしょうか?
 九郎判官義経、後藤兵衛実基、與市宗高、ナレーションなど1人で4役を語りわけます。
 海上へ逃げのびた平家方が、小船に立てた扇を判官義経率いる源氏方の名誉をかけて、見事射抜くことができるのか?
合戦の緊迫感、武士の誇り、死と隣り合わせにある人間のドラマは心震えること間違いなし。ということで、自分としても大好きな演目です。
 十世三宅藤九郎の襲名披露にあたり、全国での公演で演じた記念すべき一曲であります。
凛々しい語り姿を、1月28日(土)久々にご披露いたします・・・。
2005年10月 「三番叟」(さんばそう)
 「三番叟」は、芸能の原点とも言われる演目で、狂言の中で最高の格式を持つ演目です。能楽の源流とも言うべきふるい芸能の面影を残した曲で、きわめて祭儀的な演目でもあります。

 と、いつになく小難しい話になってしまいますが、そこは狂言の歴史の深さ、懐の深さということで。喜劇ではありますが、ただの「お笑い」ではない、伝統芸能としての格式を感じていただければと思います!
 五穀豊穣を祝う大変おめでたい演目で、今でも新年の初会や、柿落としなど記念すべきときに上演されます。
 さらにこの狂言の「三番叟」は、歌舞伎や舞踊など後世の芸能にも、影響を与えた曲として知られています。
 歌舞伎や舞踊を観に行かれて、「○○三番」(大抵、何かアレンジされているので形容詞がつきますね)
 という演目があれば、この「三番叟」が元になっているものです!
 ちなみに、よく間違われますが「さんばんそう」と読まないように、ご注意下さい。
 三番叟とは、三番目の翁・老人ということですが、能の「翁」で千歳・翁・三番叟と登場すると良くわかるのではないでしょうか。
 さて「三番叟」は、前半の揉の段、後半の鈴の段と二つの段があり、躍動的な揉の段に、厳かな鈴の段と非常に対照的です。
 「揉の段」は、数年前、ネスカフェのCMでの宗家の勇姿をご記憶の方もいらっしゃるのではないでしょうか?
 いていただけたら、ありがとうございます(笑)。
 物語ではないので、解説のしようがありませんが…。とにかく「かっこいい」のです。
 「三番叟」は演じるとは言わず「踏む」と言います。それほどに、足拍子が印象的な演目でもあります。
 美しい型に加えて、躍動感溢れる足拍子。お囃子には日本の音楽がこれほどかっこいいものかと思わされます。日本人ならば、きっとDNAを揺さぶられるはず!
 しかし、この演目ほど「百聞は一見に如かず」という言葉がぴったりなものはありません。
 まずは10月16日の日枝神社薪狂言、そして新年ともなれば、鑑賞の機会も多くあるでしょう。是非ぜひ、一度ご覧いただきたいものです。
※去る2005年7月4日の和泉会別会では、宗家が小書き(特殊演出)をつけて上演しました。
  「三番叟〜声ヲ引、橋掛リノ伝、四方正面ノ伝〜」
  これまた、かっこいい…の一言でした。
  通常の「三番叟」を知っていればこその、驚きも!
2005年8月 「釣狐」(つりぎつね
今月のオススメは、なんと秘曲「釣狐」です。8月31日に、東京では実に15年ぶりに上演されます!
 「釣狐」は狂言師の修行過程の、卒業論文にあたる曲と言われます。

 「猿に始まり、狐に終わる」

 「靭猿(うつぼざる)」の小猿の役で初舞台を踏んだ者が、「釣狐」の老狐を演じることで師匠の手を離れる・・・そんな修行の様子を表した言葉です。
 大曲・秘曲としての位も格も備えたこの曲は、演じる人間にとっては、体力と気力の限界に挑戦するような曲です。
 例えば、「構え」(基本姿勢)ひとつにしても、他の狂言とはまったく異なります。
 普段の「構え」ですら、お客様からは「保つのが大変そうな姿勢だ」と言われますが、それまで稽古の中で培ってきた経験や身体も、この「釣狐」においては、無となります。
 身をかがめ、といっても背筋は伸ばし、肘は身体から離れることがあってはいけません。
 その体勢で腰を入れ、「運び」(歩き方)も独特の獣足で、足の裏全体が、舞台から離れないように歩いていきます。
 構えも、発声も、独特のもの。自分の経験が応用できることは、ほぼありません。
 1から10まで、あらためて0地点に戻って、師匠に習わなくては、演じることができない演目でもあります。
 修行を重ね、師匠の手を離れるときに、あらためて、「習う」心を学ぶのです。
 お話は、自分の親族を次々と釣り捕られ、自分の命をも狙われている老狐が、猟師に釣りを止めさせるため、危険を冒して説得に行きます。
 猟師の伯父である僧、白蔵主(はくぞうす)に化けて、殺生は恐ろしいことだと説きに行くのです。
 殺生の罪深さ、狐の恐ろしさを語ってまんまと罠を捨てさせますが、普段とは様子の違う白蔵主をいぶかしんだ猟師も、ただでは罠を捨てません。かけながら、捨てておくのです。
 そして、帰り道にその罠を見つけた白蔵主=老狐は・・・??
 この先は見てのお楽しみ!としておきたいと思いますが、釣る者と、釣られる者の攻防です。
  大曲ならではの重みや見どころ・聞きどころは、初めての方には難解に思われることもあるかもしれませんがその奥にある「もの悲しさ」と「たくましさ」と、所々に散りばめられた「笑い」に注目してご覧いただけば決して「難しいわからないもの」ではなくなります。

 狂言鑑賞の経験値が上がること、間違いナシの演目です!!
 さて、長くなりましたが、最後にもうひとつ。
 この「釣狐」を演じるときは、私達はお祓いを受けて臨みます。
 楽屋にも専用の神棚を作り、油揚げを供えます。
 また、シテは装束をつける姿を見られてはならず、閉ざされた屏風の中で支度をします。
 その中に入り装束づけを許されるのは、「釣狐」を披いたことがある人間だけとされます。

 芸と心が、受け継がれているということ、しっかりと感じていただけると思います。
2005年3月・4月 「若菜」(わかな/果報物)
3月のオススメを考えてから、しばらくこの「若菜」が頭を離れず、4月になっても、やっぱりオススメとして浮かんできたのが「若菜」でした!
 狂言の分類は、シテ(主役)が誰か、によって分類されることが多いのですが、この場合は「果報物」というとおり、果報者がシテです。
 果報者、というのはただ地位が高いとか、経済的に豊か、というだけでなく、心も豊かで富んでいる人のことです。
 そんな果報者が、春の野遊びに従者の海阿弥(かいあみ)を連れてでかけます。
 のどかな景色を楽しんでいるところに、花摘み女たちが、手に若菜を持って登場します。
 そこで、果報者は海阿弥に命じて、花摘み女たちを酒宴に招きます。
 そして皆で酒を楽しみ、謡い、舞い、日暮れとともに帰っていくことになるわけです。
 決して大笑いするような演目ではありませんが、とても風流な楽しみがある曲だなあ、としみじみ思ってしまいました。
 花摘み女たちは、それぞれ若菜と花の作り物を手に持ち、謡いながら舞台に登場します。
 「女」の装束はとても華やかで、(登場人物紹介「女」ご参照ください)さらに少人数で演じられる演目が多い中、そんな華やかな「女」が5人、6人と登場するのですから、見た目だけでも心が浮き立つではありませんか!
 (それが年配の男性が扮する「女」であっても…(笑)。)
 具体的な小道具が少ない狂言ですが、若菜の作り物に装束の華やかさが加わって、春の雰囲気を満喫していただけるのではないかな、と思います。
 そして春の景色が思い浮かべることができたら、一緒に酒宴をしている気持ちで、のんびり舞台の上を観ていただけたらいいなあ、と思うのです。
 ついでに言うと「どうせなら、きれいな女の人と、きれいな景色を楽しみたい」という男性の単純な気持ちを考えると、ふと果報者が可愛く見えたりもしますし。
 静かな「ふふふ」という笑いを噛みしめられる演目、ということで「春」のくくりで2ヶ月共通のオススメとさせていただきました!
2005年2月 「木六駄」(きろくだ/太郎冠者物)
「木六駄」は、太郎冠者物の大曲です。
 季節は、冬。ただご主人の伯父様にお歳暮を届けに行くお話しですから、年末です。
 2月のオススメとしたのは、2月18日の渋谷狂言ライブで上演されるから(笑)。
 大雪の中を、峠を越えていく太郎冠者の寒さ。まだ外も寒い時期、見所にどれだけの
寒さが届くか楽しみです!
 この曲の登場人物は4人なのですが、どころとされるのは、太郎冠者が一人で12頭の牛を追って峠を越えていく場面です。
 狂言の舞台はとてもシンプルです。雪山のセットもなければ、牛も一切出てきません。
 その中で演者が一人で道の険しさ、雪山の寒さ、牛の歩みを表現していくわけです。
 さあ!牛が何頭見えるでしょう!?どれだけ雪が積もって見えるでしょう!?
演者にとっても、またお客様にとっても挑戦の曲です。
 自分の想像力に挑戦です。
 とはいえお話の内容は、狂言らしい笑いが盛りだくさんです。
 ご主人の使いで、伯父様へのお歳暮にお酒一樽と、木を六駄と炭を六駄、牛につけて運びます。途中の茶屋でお土産のお酒を飲んでしまい、木六駄も茶屋にあげてしまいます。酔っ払って伯父様の家にたどり着くのですが…。
 結末は是非舞台で確かめてみてください!
2005年1月  「鶏聟」(にわとりむこ/聟物)
今月のオススメは、「鶏聟」です。
 今年は酉年。
 その酉(鶏)にちなんだ演目ですから、一年通してのお勧めでもあります。
 ただし聟がシテ(主役)で「聟物」に分類されるこの曲は、大変おめでたい曲なので
 お正月のおめでたさに重ねて、やはり1月のオススメ!としたいと思います。
 聟物は概しておめでたい、祝言性に富んだものです。
 なにせ聟入りのお話ですから、基本的にめでたいわけです。
 しかもほとんどの聟が、舞台に登場して開口一番「舅に可愛がらるる、花聟でござる。」
と名乗ります。本当におめでたい聟です(笑)。
 けれど冗談ではなく、聟入りするのに「自分は好かれていない聟なんだ…」なんて思って
いたら、暗〜い聟入りになってしまいますし、舅さんも困ってしまうと思います。
 上手くいくものも上手くいかなくなるぞ!ということで、「信じるものは救われる」。
 物事は明るくとらえるほうが良いのです。
 そんな明るく素直な聟が織り成す、聟入りの失敗談。
 舅さんの家で鶏のなく真似をしてどうする!?と心の中でつっこみながら観ていただければと思います。
 そしてその聟を、「聟どのは律儀な人だと聞いている。誰かにからかわれたのだろう。自分も同じように応答おう」と迎える舅のあたたかい心が、また狂言らしい「心」のやりとりだなあ、と思うのです。
 こういう鷹揚さと柔軟性が、楽しく生きるコツだなあ、としみじみ思います。
 今年1年、いろいろなところで上演の機会があるはずです。
 是非ご覧下さい!
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